毎日元気に遊ぶ一人一人の子どもたちを見ていると、小さい子も大きな子も、真っすぐではつらつとした姿に喜びを感じます。ボールのやりとりに興じる子も、使っていたおもちゃを取られてしまい保護者に訴える子など、どの子の表情も例えようのない素晴らしいものです。
友達と遊べるようになると、まずルールを作ります。おままごとでも、お父さん、お母さん、ときどき犬など役割を作るのです。ルールを守れる子どもは、すんなりと遊びに参加できるようです。次々に役割を分担し合ったり、補い合ったりして、役割に伴う責任を果たして満足し合い、「楽しかったね、またやろううね」と次の約束も忘れません。
仲間と一緒に遊びながら、自分は何をしたいのか、どこまでなら友達は認めてくれるのか、我慢しなければならないことは何かをきちんとわきまえることを知ってゆきます。遊びながら思いっきりやりたいこと、抑えなければならないことなどの機能や能力を身に付けてゆくのです。実は、この過程が遊びの喜びでもあるのだと思うのです。
年齢が大きくなればますますルールは厳しくなり、役割も困難になり、緊張の中で遊びが展開されます。緊張があれば遊んだ後の感動も大きく、ルールの中にわが身を守れた時の感動が、さらなる感動を生み出していくものだと思います。
保育園で“自由遊び‘‘の自由とは、ルールあっての自由で、勝手気ままで何をやっても許されるということではありません。仲間との遊びの体験をしっかりと積み重ねて、大人になった時に社会的ルールを守れる健全な人格が作り上げられるのでしょう。
はるか昔の私が20代初めに手にした『自由と規律―イギリスの学校生活』(池田潔著/岩波新書)という本があります。十分にかわいがってもらっていると感じていながらも、厳しすぎる母への反発を少なからず覚えていた当時の私の心に大きな揺さぶりを掛けてきたものです。今でもあの瞬間は忘れられません。
小さい子どもたちも、遊ぶときは大人が言わなくても自然に仲間と共同で遊んでいます。一人がブロックを置くと別の子がそれにつなげる、砂場でお山を作ると両方から穴を掘り始める、「水をくんでくるね」と言う子、「ゆっくり掘らないとつぶれちゃうよ」と教えてあげる子、ここでも彼らなりの役割を作っています。
保育園を卒園する資格というものがあるとすれば、仲間と楽しく遊べること、一人より友達と遊ぶこと、一人より友達と遊ぶ方が何倍も楽しいということを知ることだと思います。一人で育つのではなく、仲間と育ち合った体験をした子どもたちはもう大丈夫。これからも社会でたくましく生きていけるでしょう。
お父さんやお母さん、ご自分のお子さんと一緒に育ち合ってくれた、たくさんの子どもたちに感謝しましょう。